私自身、いわゆる大手といわれる新聞社で働いているのだけれど、今回のライブドアとニッポン
放送の騒動を巡っては、「やっぱり新聞社やテレビ局ってエラそーだよな」というあきれ気味の
思いを度々感じてきた。今朝の朝日や読売の社説なんかはその典型。
今朝のニュースは、ニッポン放送側が買収阻止の切り札として計画してきた新株予約券発行が
地裁、高裁の司法判断で最終的に「法的には認められない」という結論に達したというもの。つ
まりライブドアによる買収が成功したということだ。ひとつの区切りだから、各社の社説にはこの
ニュースについての評価や批判がずらりと並んだ。今まで、既存メディアの在り方に対して挑発
的な発言を繰り返してきた堀江社長だけに、朝日や読売の論説委員たちは今後の報道姿勢が
「懸念」で仕方ないようだ。
朝日の社説の見出しは「堀江さん、荷は重いぞ」。部分的に省くが、内容はこんな調子だ。
「資本の理屈とは別に、国民の知る権利の担い手という性格を(メディアは)持つ。株主や広
告主が喜ばないことでも報じなければならない時がある。読者や視聴者の知る権利を最優先
しなくてはならないメディアは、かならずしも株主の思いのままにはならない存在とも言える」
読売は「堀江氏の『メディア観』が心配だ」という見出し。「メディアはあくまで媒介者。ありのま
まを伝えるのが一番」という堀江氏の過去のコメントを引き合いに出したうえで、「残念だが、
既存メディアの役割を全く理解していないとしか言いようがない」とばっさり。新聞やテレビの
役割について「隠れた真実を探り出し、必要な関連情報とともに提供すること」「政治的公平性」
「高い公共性」などの言葉を並べて説いている。
要するに両方ともお説教。
こういう社説を読んでいると、「そんなエラそーなこと言えた義理か?」とつっこみたくなってくる。
まるで「堀江なんて素人に、我々が培ってきた高尚なるプロの報道の世界のことがわかって
たまるか」と言っているように聞こえて仕方ないし、プロ野球参入に不快感を示した既存球団
のオーナーたちに似て見える。
だけど、お説教は少なくともお手並み拝見してからでいいんじゃないの?
そのうえで、おかしいと思ったら、正々堂々と事実をもとに社説で論戦を挑めばいい。
何も始まっていないうちから「モノが分かっていない」ようなノリでたたくのは、傲慢そのものだ。
だいたい、対NHKの報道過程で朝日は「国民の知る権利」に応えきったか?動かぬ証拠を
提示できない取材の甘さを露呈しただけじゃないの?読売が「政治的公平性」を言うなんて、
ほとんどブラックジョークにしか思えないし。
ちなみに毎日は「具体的な事業プラン示せ」との見出しで、「ネットと放送が連携すれば相乗
効果が期待できるというような漠とした説明でなく、国民が納得できるような具体的なプランを
早急に示す必要がある」という内容。日経は「建設的な企業買収のルールを確立せよ」と、買収
に関する制度論。この2紙は「そもそも報道とは」なんてお説教モードではなくて、その分は好
感がもてる。
確かに、思いっきり純粋にマーケティングの論理をメディアの世界に持ち込もうとする堀江さん
の考え方には「どうかな」と思うところもある。何か今まで培ってきた記者としてのアイデンティ
ティーを否定されるように感じてしまう発言もある。ベテラン記者や編集幹部が腹を立てる気持
ちもわからなくはない。
でもそういったことを含めて、メディアの世界が多様になるのは良いことだ。
あとは競争すればいいじゃないか。
良いものとして社会に認められれば生き残るし、そうでなければ消えてゆく。
ただそれだけの話だろう。