脱線事故の話。
犠牲者がとうとう100人を超え、鉄道事故としては史上4番目の被害の大きさという。
発生直後、私が現場に駆けつけたとき、マンションにめり込むように衝突していた車両は
めちゃめちゃに壊れていて、どれがどの車両かわからないような状態だった。すぐ目の前に
事故の現場があるのに、それがどんな状況なのか全然、わからない。これまでいろいろな
現場を経験したが、こんなことは初めて。それほどひどかった。
それに犠牲者には20歳代前後の若い人が多かったのも、みているだけで、つらい。
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発生直後のJR西日本の会見のときに、「人が死んでんねんでー」とJR西の幹部に詰め
寄った新聞記者の態度について、「あれはどうなのか?」という質問を何人もの友人に
聞かれた。私自身は当時現場にいて、その様子をテレビニュースなどを通してもみて
いない。でも最もな質問だとも思うので、感想を少し。
はっきり言って、言葉使いを別にすれば、会見で出す質問や発言としては「あり」だと思う。
これは一般的な話になるけれど、事故や不祥事の発生・発覚直後の記者会見というのは
責任回避のため企業や役所の担当者は「知らない」「わからない」「調査中」などの逃げの
言葉を連発するのが通例だ。「わからない」とか「調査中」というのは、こういうときにとても
便利なフレーズで、つまり「9割がたそういうことだと判明していても、否定する要素がゼロ
とはいえない」というような事実でさえ、「調査中」と表現しても嘘にはならないからだ。
だから時に、記者は会見で相手を挑発する。「あんたたちそういう態度で、恥ずかしくないのか」
というアプローチで揺さぶり少しでも、本音や事実を引き出そうとする。あるいは、細かい質問を
連発して集中攻撃することによって、会見している側のいいかげんさをあぶり出そうとすることも
ある。例えば、「調査中」という見解に対し、「調査の進捗状況は?」「情報の確認作業に入って
いるのか、そもそも情報そのものがないのか」「調査チームは何人で構成しているのか」など
と具体的な質問で攻める。いい加減にごまかそうとしている会見者は、どこかでぼろがでる
ものだ。
と、こんなような理由で、「人が死んでんねんでー」という発言そのものがダメだとは、私はすぐに言い切れない。(別にため口じゃなくても追及はできるやろ、とは思うけど)
ただ、一方で、新聞社やテレビの記者の中には、不必要に偉そうだったり、
驚くほど無神経な人間が少なからずいることもまた事実だ。これはまた別の問題だと思うけど、
でもとても重要なこと。
無神経だったり、極度に強引な取材手法や記者の態度が、取材相手や、テレビなどを通して
取材の様子を見た一般の人たちに不快感を与えるケースがある。取材手法や態度は、
報道内容そのものに並ぶくらいシリアスな問題で、報道機関そのものへの信頼を左右するく
らいだろいう。しかしだからといって、単に「遺族らが落ち着くまでそっとしておく」などの選択肢
をとると、報道そのものができなくなってしまうというジレンマがある。「攻めすぎず、腰も引かず」
というとても難しい判断を迫られる、ある意味で報道機関にとって「永遠のテーマ」だ。
犯人や被害者に少年が関わるような事件や、極端に犠牲者が多い事故が起こったとき、
無神経な取材活動が被害者や遺族に与える傷は計り知れない。
今回の脱線事故の取材を通しても、このたった5日間でも、私自身、だいぶいやなものを
みてしまった。ふと時間があくと「取材ってなんだろう」と、改めて考え直している。
簡単に「これだ」という結論が出るものでもないけれど、一回、文章にまとめてみるつもり。
きっとこれからも、事件や事故や災害の取材現場が多いであろう自分自身の仕事のためにも。