初めてバーに足を踏み入れたのは、社会人二年目の春。23歳のころだった。
僕は北関東のとある県庁所在地で毎日、地方行政と中小企業の経済ニュースを追っかけていた。記者が3人しかいない小さな支局だったけれど、当時の支局長とは不思議とウマが合って、たまに夜11時の締切り時間を過ぎるとお酒を飲みに連れて行ってもらった。そんな中で、あるとき入ったのがRという静かなバー。気難しい、それでいてとても温かくて信頼できるマスターが一人でやっているところだった。
最初の何回かは、支局長と一緒。それほどお酒に強くない支局長が連れて行ってくれることがめったになくなり、思い切って一人で入り口の扉をあけてみたのは最初に訪れてから数ヶ月後のことだったろうか。慣れずにとても緊張してコチコチになってグラスを傾けていたカウンターが、いつしか日常生活の中で一番リラックスできる空間になっていた。
あれから数年して東京に戻り、またしばらくして今は大阪と神戸の間をうろうろとしているけれど、それぞれの土地で僕は幸運にも、大好きなバーをみつけることができ、うれしい時も悲しい時も、泣きたいときもはしゃぎたいときもカウンターに座って常連さんやマスターとの時間を共有している。
優しさも厳しさも、暖かさも怖さも、驚きや安心や、喜びや悲しみも、混ぜこぜになっている空間。それが万華鏡のようにくるくると、でもちゃんとしたリズムに乗って僕の前に訪れてくれるところ。僕にとっての「お気に入りのバー」というのはそういう場所だ。隣に座るのはいつも、職種や年齢のほとんど共通点がない、昼の時間には全く接点のないような人。でも、このお店を大事にしているというその一点が、お互いの心の奥底にある基本的な価値観や大切なこだわりを共有できると、保証してくれる。
だからここでは、刺激と安らぎの共存状態を楽しむことができる。
最近、やっと日本語訳が刊行された、ポール・オースター編「ナショナル ストーリー プロジェクト」を読んでいて、「ああまるでこれは、お気に入りのバーのカウンターにいる心地よさだ」と、うれしくなった。アメリカの作家、ポール・オースターが出演していたラジオ番組で、毎週、リスナーの身のまわりの話を募集し、彼が選んだとびきりのいくつかを朗読するコーナーをまとめたのがこの本だ。ありとあらゆる世代、ありとあらゆる職種や人種の人々が、ありとあらゆるエピソードをはがきや手紙にしたため、彼の番組に送った。ほとんど何もかもがばらばらだけど、ほんの数点だけ共通していることがある。それは、きっと応募した誰もが「私の大切なこの話を、ポール・オースターに読んでほしい」と願ったこと。それに、誰もが「私の大切なこの話を、もしよかったらほかの人にも聞いてほしい」というおおらかな感情を持っていること。
ポール・オースターは大好きな作家のうちの一人。もちろん会ったことなんてないのだけれど、できれば僕も、身の回りで起きた話を彼に聞いてもらいたいくらいに思う。だから彼に手紙やはがきを書いた人々のことだって、きっと好きになれるに違いない。この本を通して、様々なエピソードに触れるという行為は、お気に入りのバーで隣に座った初対面の常連さんの話に耳を傾けることと、とてもよく似ている。「この人も僕と同じで、このお店やこのマスターのことが好きなんだなあ」。そんな安心感に包まれながら、僕は彼や彼女らと、少し酔っぱらいながら、延々と話を交わす。
もちろん、この本に集められているエピソードはどれも興味深くて、意外で、面白いものばかり。ポール・オースターのことを知らなくても、楽しめる本だと思う。だけどもしも少しばかりの余裕があるならば、この本を読み始める前に、白水Uブックスから出ている彼の「ニューヨーク三部作」(シティ・オブ・グラス、幽霊たち、鍵のかかった部屋)を手に取ってほしい。映画好きなら彼の作品をもとにウェイン・ワンが監督した「スモーク」という作品を観てからでもいい。
そうしたらきっと、この本が、何度でも何度でもページを開くようなお気に入りの一冊になるに違いない。