読書の秋…というかもう冬だけど、僕の周りでちょっと驚くべきことが起きた。同じ記者クラブで働いている後輩記者のTくんが突如として読書家に変身したのだ。
Tくんといえば自他ともに認める活字嫌い。どのくらいか彼の言葉を借りて説明すると「ここ2年くらい本らしい本を読んだことがありません」と臆面もなく答えるくらいほど。新聞記者なのに…ほんとに読書から縁遠い人物がTくんである。
ところが今日の午後「事件」が起きたのだ。僕が本好きの新人記者Aくんを相手に伊坂幸太郎の小説について雑談していたら、いきなりTくんが「ああ、あれけっこう面白かったですよね」と会話に参加してきたのである。思わずぽかんとする僕とAくん。それはまるでペンギンが「空飛ぶのって気持ちいいですよね」って発言するのを聞いたかのような光景だったに違いない。
「…ほ、本、読んだんだ」。恐る恐る尋ねる僕。
「読むようになったんですよ」どこか得意げなTくん。
「え、別のやつも読んでるの?」「はい、ちょっとは」
「例えば、最近、ほかに何を読んだ?」と質問を重ねた僕は、さらに驚かされた。
「えっと、リリーフランキーの『東京タワー』と重松清の『疾走』と、あと…そうそう村上春樹の『東京奇譚集』も面白かったです。伊坂幸太郎の『魔王』は読んだって言いましたよね。あ、先輩の机にあった三羽省吾の『太陽がいっぱいいっぱい』も勝手に借りて読んでます。読み終わったら返しますね」
「…!!、最近の話題本ほとんど押さえてるんか!!」
恐るべしTくん。それだけ読んでいる奴はほとんどいないぞ普通…。
思い返してみれば確か今年の夏ごろだっただろうか、彼がふと「本というものを読んでみようと思うのですが、面白い本があったら紹介して下さい」と言い始めたことがあった。あの時は確か「へえ珍しいこともあるものだ」と思いながらも、たまたま読み終えたばかりで手元にあった村上龍の「半島を出よ」を貸したのだ。「いきなりの読書にしては長すぎるかな」と不安だったから、彼が一ヶ月くらいして無事に「最後まで読めました」と分厚い上下巻のハードカバーを返してくれたときはほっとしたっけ。でも、まさかその後も別の本を読むようになっていたとは。
どういうわけかわからないけれど、彼の中で何かの扉が開いてしまったのだろう。20数年の潜伏期間を経て突如として発病した読書病(しかもかなり重症)。いやはや何がどうなっているのやら。
でもそれはかなり嬉しいハプニングでもあった。読書好きの仲間が増えるのは楽しいことだ。
今日は帰り道、「次は何を勧めてやろうかな」と考えながら家にたどり着きました。
昔から、全く理解できなかった女性の習性のひとつに、「人の結婚式に出席する度に新しい服を買う」というという行動があった。とりわけ20歳代後半から30歳代前半の女性にとって、「今度、◎◎ちゃんの結婚式に行かなくっちゃ」という言葉と「新しい服を見に行かなくっちゃ」というのは同義である。ほぼ間違いなく。
でも、まさか自分が同じような行動に出るとはついこの間まで夢にも思わなかった…。
今度の土曜日は弟の結婚式。一週間前になって、ふと着ていく服がないことに気付いた僕。一応、礼服用の黒いスーツはあるのだが、確かコナカか青山かで適当に買った安物だ。うーむ、これでも怒られはしないのだろうが、いかにも物足りない。親族としてお嫁さんの家族らの前に出て行くのに、やっぱりちょっと格好良くありたいと思う。
ただ、僕はあんまりファッションのこととかよく分からないし、普段から着る服にほとんど無頓着といってもいいくらい。ブランドの名前もびっくりするぐらい知らないし、何をそろえてよいのやら…。途方に暮れて、さっそくいつも行くバーのマスターに相談した。
「マスター、いいスーツってどこで買ったらいいんやろか」
「…!!…どうしたん?何?何?」
服に興味を抱いたというだけで驚かれるという現実に少なからずショックを受けながら、僕は事情を説明した。要は弟とか家族の前で、パリッと決めていきたいのである。かといって、いきなりカネにモノをいわせた有名ブランドで固めるのも下品に感じるから、そこを何とかしてほしいのだ。
ふむふむ、と話をきいていたマスターは一言、「いいとこあるよ」と頼もしい。「僕もいつも買っているとこやねんけど、梅田のNってお店。モノに間違いなし」。聞けばそこは小さな老舗のテーラーで、海外の有名ブランドなどにも品物を卸しているのだという。そこから有名ブランドに卸された品物は一般のショップで20万とか30万とかの値を付ける。だが、そのテーラーで買うオリジナルは、生地も仕立ても全く同じで、ほとんどデザインも変わらないのに、値段だけ3分の1とか半分くらいになるというのだ。「どうしてもブランドの名前が欲しいっていうのなら他を当たったほうがいいけど、でもNはいいで。有名ブランドの大阪や神戸の店長さんらがプライベートの服を買いに来るとこや」
そうそう。まさに僕の願ったりかなったりのところ。やっぱり相談事の相手は、気心知れた博学のバーテンダーに限るなあ。
「しかも、あそこの店長さん、君も一緒に飲んだことあるし、向こうはよく覚えとるよ。ほら夏ごろに隣の席になったやろ。あの人なら上から下までみんなそろえてくれはるわ」。そうだったのか…僕は酔っぱらい過ぎてかすかにしか覚えていないのに…いつの間にかそんな知り合い(?)ができていたとは。
で、めでたく本日、マスターと一緒にそのお店に行き、お買い物をしてきました。
…いやあ、服を買うのって楽しいんだなあ。
ああでもない、こうでもない、これも見たい、ちょっと合わせてみても良いですか、などとあれこれ選ぶこと2時間弱。文字通り、上から下まで一気に買い込んだ。スーツはもちろんなんだけど、驚いたのはシャツの「違い」。思い切って、ウン万円もするナポリ製の手縫いの高級シャツに袖を通してみたら、着心地がいいのなんのって…。肩や腕が楽なこと楽なこと。それでいて袖口はぴしっと決まって、無条件で気分が良くなる。「これ下さい。絶対下さい」と強調し、ぴったりのサイズの白シャツを取り寄せてもらうことにした。なんか、これまでの数年分の買い物を一度にした気分。
で、大きな買い物をしたにもかかわらず、やっぱりこうなると靴も欲しくなってきた…。そこそこの黒い靴、持っているのに…。
あ、そういえばバーの常連さんのNさんは、関西の時計職人の間ではカリスマ的な存在だって話しを聞いたことがあるな。…と、時計かよ。いや、とりあえず時計のことは忘れよう。単価がでかすぎる。でも、メガネだったら新しくもうひとつ作ってもいいかな…。
ボーナスが出た直後だというのに、すぐ溶けてなくなりそう…
久しぶりの休日は、車を飛ばして京都へ。
行き先は円通寺。京都の北のはずれにある、学生時代からの最高のお気に入りの場所のひとつだ。とりわけシンプルにまとまって上品な枯山水の庭。それでいて、どこにも負けないくらいに存在感を誇るケヤキと紅葉。何よりも圧巻は、借景としてその向こうに映える比叡山の姿。
素人でも十分わかる、これが「完璧」っていうんだなという感覚。
その昔、江戸時代に後水尾天皇という芸術を愛した天皇がいて、彼は引退して法皇となったとき、京都で一番景色が良くて、静かな場所に離宮を建てて暮らそうと思ったという。各地を探し、比べ、考えて悩めること12年。とうとう「ここだ」と思った場所を見つけたけれど、悲しいかなそこは水を引くのにとても不便という決定的な欠点があった。水が不自由では、暮らすのに大変だし、庭の手入れにも苦労する。そこでもう一度場所を選び直し建築に至ったのが有名な「修学院離宮」。そして最初に候補に挙がった場所に建てられたお寺がこの円通寺なのだ。
今でも特別に有名ってわけでもない、ひっそりとたたずむ静かなところ。でも、一度そこを訪れれば、きっとまた何度も行きたくなる。
廊下を曲がり、庭の前に出ればいきなり視界に飛び込んでくる紅葉の美しさに息をのむ。あまりにまぶしくて、ふと視線をずらすと比叡山がそこにある。言葉が出ない。
くらくらとするような最初の驚きを抑えて、畳の上に座ると今度は急に時間がゆっくり流れ始める。その時間に濃密な重さを感じる。何をするわけでもなく、ただ目の前にある景色を眺めているだけなのに、全身が再びじわりと興奮していくことに気付く。きっと体の中の小さな感覚の一つ一つが勝手に反応しているのだろう。
光の関係でうまく写すのが難しいのだけど、この仲の良さそうな夫婦の視線の向こうに比叡山の姿がある。
だけど、悲しいことに、あとしばらくしたら周辺のマンション開発の計画が進んで、もしかしたらこのせっかくの借景も見られなくなってしまうかもしれないという。なんてことだろう。
せめて今のうちに、目に焼き付けておこう。
hotmailと平行してgmailを使い始めた。
きっかけは単なるミーハー的な興味と、hotmailの殿様商売的な対応(転送サービスが有料会員に限るとか…)が前々から気にくわなかったなどとが入り交じった、いわばどうでもいい理由に過ぎないのだけど、使ってみるとgmailはやけに便利。メッセージを分類しやすくて見やすいし、容量はほぼ無制限だし、転送も自由自在だし。
当分はhotmailも継続するつもりだけど、時間をかけて徐々にgmailにメインを移してもいいなと感じている。
ちなみにアドレスはmasafumi.uematsu@gmail.comです。
どうぞよろしく
何度か書いたことがあるが、僕は落とし物や忘れ物の天才である。特にお酒が絡むとその能力が飛躍的にアップする。あまりに色々なものをなくすので、家のカギなんて今や首から提げるようにしているくらいだ。
今回もまたやっちまった…。そして今回のブツは今までとは少し訳が違うほど、あり得ない事態だった。
掛けていたメガネなくした。
しかもそのことに、翌朝、気付いた。
ちなみに僕の裸眼の視力は0・02か0・03くらいだ。しかも左右とも乱視が入っている。視力がいい人には想像しにくいと思うが、わかりやすくいえば「普通に歩いていても壁にぶつかるレベル」なのだ。メガネを外せば、すべてがもやもやとした霧の中にあるようになって文字通り「世界が変わる」。気付かないはずがないのである。でも、お酒に酔って気持ちよくなった(であろう)僕はそのことに全く気付かなかったのだ。そもそも、ほとんど周りが見えない状態のまま、僕はどうやって帰ってきたのだろうか。お酒については、前々からやばいやばいとは思っていたものの、とうとうそんなレベルまで来てしまったのだろうか…
仕方がないから、その日は久しぶりにコンタクトを付けて仕事に行った。当然、ベッドから下りてコンタクトレンズを探し当てるまでにはめちゃめちゃ苦労した。足の小指を至るところにぶつけたりして泣きそうになった。なぜ僕はいつもいつもこんなんなのか。
メガネはその後、帰りに乗った(らしい)タクシーの中から無事発見されたのだが、運転手さんからは「お体に気を付けて下さいね」と同情されてしまった。うう、何十年もの間、夜の大阪の酔っぱらい達を見つめ続けてきたであろうプロの運転手さんにこんなことを言われると余計こたえる…。さらにとどめの一撃は、一緒に飲んでいた友達の話。どうやら僕は飲みながら「酔っぱらっていても全く記憶をなくさないのが特技」などとのたまっていたらしい。…ごめんなさい。全然、覚えてません。記憶にございません。
で、今朝はまた、今年に入って何度目なのかわからないほど繰り返した「節酒の誓い」を再び肝に銘じているところ。「禁酒」と言い切れないところにまた情けなさを感じる。